川越宗一の『絢爛の法』(新潮社2026)を読む

 川越宗一の『絢爛の法』(新潮社2026)を読む。『熱源』(2019)で、樺太アイヌを主人公として、明治以降の文明化の歴史に翻弄されつつも、しかし、民族の歴史を背負いつつ時代を切り開きつつ生きかつ死ぬ人びとの姿を感動的に描いた川越宗一が、明治憲法や教育勅語の主要な起草者である井上毅を主人公とした新作を書いたことを知り、これは読まなければいけないと思った。

 600頁を超える大作。期待に違わぬ力作である。肺に病を抱えつつ苦闘する井上毅を中心に据えて、当時の癖の強い人物ーー西郷隆盛、大久保利通、江藤新平、伊藤博文、井上馨、大隈重信、板垣退助、星亨、山県有朋などなどーー権謀術数も悪徳も強権も金権も自覚的に駆使しながら自らの理想と野望に突き進む面々を描いて、まことに興味尽きない読み物となっている。

 冒頭に大久保利通の息子の牧野伸顕と、牧野の娘婿の吉田茂の子どもの吉田健一の、昭和22年5月2日(明治憲法が廃止され、新憲法が施行される前日)の会話を配し、終章でも昭和22年5月3日の牧野伸顕を登場させるなど、本書の構成も巧みである。実在の人物に重ね合わせてみたい思いに駆られるが、いうまでもなく本書はフィクションである。

 フィクションではあれ、本書もまた『熱源』と同じく、明治以降の文明化の歴史に生きる人々の生と死を描いたものであり、それ故に、今日、わたしたちが憲法ということ、また立憲主義ということを考える際の刺激になるのではないだろうか。

岩永健吉郎編『政治学研究入門』のこと

 岩永健吉郎編『政治学研究入門』(東京大学出版会1974)を捜索中。見つからない。

 この本の最後の重版は1982年5月の第7刷だったと思うが、その重版許可願いに対して編者の岩永先生は「10年近く経って正味が切れたものを学生のテキストとして使用するのは適切でない」というお考えで重版を許可されなかった。ただ、既にテキストに指定していた執筆者の懇願もあって「最後の増し刷り」という条件でお許しいただいた。

 このような経緯もあって新版を計画した。そして、岩永先生より新版の編者として佐藤誠三郎・有賀弘のお二人へのご指名があった。お二人に内田満先生を加えた編者会議を重ねて目次案を作成し、その上で執筆者会議をもったが、結局、出版には至らなかった。出版できなかった重要企画のひとつである。

 ちなみに『政治学研究入門』の目次は以下の通り:

 政治学以前(岩永健吉郎) 内政と外交 - 日本(佐藤誠三郎) 政治社会と政治制度(田中治男) 政治理論と政治過程(高畠通敏) 政治意識の形成と動態(岡村忠夫,栗原彬) 官僚制と自治(大森弥) 比較政治と国際政治(河合秀和) 政治思想と政治文化(有賀弘) 附録:日本政治研究基礎資料

春山明哲・若林正丈『日本植民地主義の政治的展開―その統治体制と台湾の民族運動・一八九五〜一九三四年』(現代中国研究叢書18、アジア政経学会、1980年12月)

最近、わたしの発信は台湾一辺倒となっているが、振り返ってみて、わたしが学術研究としての台湾に最初に関わったのは、東京大学出版会の委託製作部に所属していたときに春山明哲・若林正丈『日本植民地主義の政治的展開―その統治体制と台湾の民族運動・一八九五〜一九三四年』(現代中国研究叢書18、アジア政経学会、1980年12月)の本づくりをしたことにある。

1980年11月1日付けで、委託製作部から編集部に異動したので、そのはざまで本書を作ったわけである。本作りに関わるだけであるから、企画に携わったわけではない。

わたしは、東大出版会に勤めた当初の1974年の末から、アジア政経学会の出版物の担当者となり、学会誌の『アジア研究』とモノグラフの「現代中国研究叢書」を担当した。窓口は、東洋文化研究所の事務職を務めていた今城治子さんであった。

わたしは22歳から28歳まで今城さんの薫陶を受けた。

若林正丈『『台湾の半世紀』(筑摩書房2023)を読んでいたら、この現代中国研究叢書の琴が出ていて、四十数年前のことを改めて思い出して、懐かしく思った。

以下、『台湾の半世紀』より引用:

《衞藤瀋吉先生からアジア政経学会の現代中国研究叢書で何か書いてみろと勧められた。実にタイムリーなお勧めでありがたかった。そこで、当時は国会図書館勤務だった春山明哲さんと語らって二度目の訪台の後に『日本植民地主義の政治的展開 一八九五─一九三四年』を出した。春山さんは「近代日本の植民地統治と原敬」を書いた。この論文は後に台湾植民地支配をめぐる政治史研究に一画期をなすことになった。私は「大正デモクラシーと台湾議会設置請願運動──日本植民地主義の政治と台湾抗日運動」という、これも長編の論文を書いた。  

私の論文は、植民地時期台湾の代表的政治運動である「台湾議会設置請願運動」についてのものであった。植民地台湾から東京の帝国議会に提出された請願がどのように扱われたのかを請願委委員会の議事録を調べ、それを軸に「大正デモクラシー」と戦後に名付けられた時代環境の中でこの植民地住民による民権運動がどのように位置づけられたかを示そうとした。》

龍瑛宗「知られざる幸福」をを読む

引き続き『臺灣小説集』第1輯(大木書房、1943.11)に収録された龍瑛宗「知られざる幸福」を取り上げる。

龍瑛宗 (1911-99)は1937年に日本語小説「パパイヤのある街」で雑誌『改造』の佳作推薦賞を得て、1940年に『文藝臺灣』の編集委員となった人である。この作品は 同誌第3巻第1号(1943年1月)に掲載。

王家の家に女の子三人の末に生まれて二歳の時に梁家に熄婦仔としてもらわれた「妾(わたし)」が主人公である。

「熄婦仔(シンプア)」とは息子の将来の嫁として養女として迎えられたものを言うが、自分の意志に関係なく結婚相手を決められ、若年労働力として酷使され、教育機会も与えられず、息子にもうとまれる女性である。

本作品は、その実態をリアルに描きつつ、この女性が運命を甘受することなく自らの意志で自らの道を歩もうとする姿が描かれている。

台湾の1943年という当時、時局におもねることなく長い慣習に囚われた底辺の生きる女性の「知られざる幸福」を描いたこの作品は高く評価されるべきである。f:id:Takeridon:20260227211831j:image
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王昶雄「奔流」(『臺灣小説集』第1輯、大木書房、1943.11)を読む

『臺灣小説集』第1輯(大木書房、1943.11)に収録されている王昶雄(おう・ちょうゆう 1916-2000)の中編「奔流」。初出は、張文環(1909-78)が主宰した日本語文芸誌『台湾文学』の3巻3号(1943.6)。

この作品は、台湾での「皇民化政策」が強力に推進されていた時期に書かれていて、後日、日本統治下の台湾で本島人(台湾人)が日本語で発表した、「皇民文学」と「抵抗文学」の狭間に立つ作品として注目されるようになった。

垂水千恵によるあらすじを示す。

《主人公の「私」は日本帰りの医者である。「私」は或る時、患者としてやってきた中学の国語教師伊東春生という34、5歳の人物と知り合い、友人になる。伊東は「本島人」であるが、日本人の妻とその母と暮らしており、決して「本島語」を使おうとしない。最初「私」は日本留学時代に日本人の恋人がいたが、台湾での結婚に自信が持てず、別れた過去があるだけに、日本人との結婚に踏み切り、「内地に於けるあのゆとりのある気持や生活を」「そのまゝそつくり、郷里へ持ち運んだ」伊東を「千両役者」として感心して見ていた。しかし、台湾人の実母に対する数々の冷たい仕打ちを見てから、伊東の生き方に疑問を持つようになる。その一方で「私」は伊東の甥の林柏年の純粋さに惹かれていく。柏年は台湾人の実母を省みない伊東を激しく批判する一方、「大いなる大和魂に繋がるために」日本へ赴き武道専門学校に入る。しかし、伊東のように台湾を否定することなく「立派な日本人であればある程、立派な台湾人であらねばならない」と言う決意を「私」に書き送るのである。》

「皇民化政策」の下、伊東は、台湾人の親を捨てでも日本人になろうとするのに対して、それに反発する柏年は、「立派な日本人であればある程、立派な台湾人であらねばならないと思ひます。」と主張する。反発される伊東だが、しかし、東京での学費は密かに彼が出していたのである。

日本人になろうとすることが台湾人であることとの葛藤を抱え込まざるを得ない背景のもとに書かれた優れた作品である。文章もいい。

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楊双子著/三浦裕子訳『四維街一号に暮らす五人』

先に読んだ楊双子著/三浦裕子訳『台湾漫遊鉄道のふたり』(中央公論新社2023)が入れ子の複層の構造として仕立てられたとても面白い作品だったので、同じ著者/訳者による『四維街一号に暮らす五人』(中央公論新社2025)を読んでみた。これも面白い。装幀、装画、挿画も小説の雰囲気を見事に表現していて良い。

台中にある1938年に建てられた日本式の建物がいろいろな変遷を経て今は女性専用のシェアハウス・四維街一号としてあり、四人の大学院生が住んでいる。その一階には、BL作家で自我を追究する郭知衣と、聡明で料理の腕もたつ盧小鳳が、二階には、原住民族の流れを汲むプライドの高い苦学生の徐家樺と、内向的で人見知りで人づきあいの苦手だが勇敢な蕭乃云が住む。そして大家の安修儀は酒好きな30代の女性。

本作品は五幕構成であり、それぞれの一幕が一人の女性を中心として進むのであるが、そのひとつひとつが他の人との関係とで描かれ、軽快で動態的な展開となっている。

シェアハウスの奥から見出された日本統治時代に日本人が書いた日本語の『臺灣料理之栞』をきっかけとして、この家と安修儀との関わりが明らかにされ、そしてかつて住んでいた日本人女性の息子とも連絡を取ることができた。

女性の同性愛や同性婚も出てくる現代台湾らしい小説であるが、同時に、日本時代の過去の歴史を四維街一号を通して浮かび上がらせる、その構想力と筆力も評価したい。

【入江昭先生追悼】

入江昭先生追悼】
 入江昭先生の訃報に接しました。1月27日逝去。享年91。
 最後にお会いして言葉を交わしたのは2013年11月15日。ホテルオークラでの国際交流基金賞の授賞式でした。
 この時の受賞者の入江昭先生の簡潔な挨拶がとても力強く感動したことを覚えています。
 《20世紀の世界史、国際関係史を研究してきた。強く思うのは、学問に国境はないこと。そして、国境を超えて共有する歴史はあること。日本人にしか分からない歴史などというものはない。某某の国の人にしか分からない歴史などない。あるのは、人類全体の歴史、地球の歴史である。いま発展しつつある「人類史観」。これをより一層深めるために、私のこれからの人生を捧げる。》
 わたしが編集者として直接担当したのは、編著『戦間期の日本外交』、単著『20世紀の戦争と平和』、『太平洋戦争の起源』、そして共著『国際政治第4巻 日本の外交』。ほかに『UP』への寄稿。
 ご夫妻から慰労していただいた2011年3月下旬の会など、いろいろな思い出があります。まずは、心からの哀悼の意を表します。