元・北海道新聞記者 岩本茂之さんを悼む

 岩本茂之さんのご冥福をお祈りいたします。7/28日逝去。30日お別れの会。

享年58ですか。早過ぎます。

 北海道新聞記者の岩本さんと初めてお会いしたのは、2018年10月24日、仙台の荒蝦夷土方正志さんが札幌に(わたしとともに)行った際、岩本さんが世話役を務めた歓迎会の場でした。札幌駅北口の旧かんろです。今は移転して営業中です。

 その後、中森敏夫さんの主宰するギャラリーのテンポラリースペースにわたしが常連のように出入りしていた時に何度かお会いしました。2020年2月、岩本さんが持参した一升瓶のワインをしこたま飲んで酔い潰れたこともありました。

 2023年3月25日に中森敏夫さんが逝去され、その善後策を打ち合わせるためにテンポラリースペースでお会いした同年4月にお会いしたのが最後でしたでしょうか。その後、わたし自身が入院、手術となって、連絡が途切れてしまいました。

 定年前に北海道新聞を退職して、農業をしながら悠々自適の生活を送るという風の噂を聞いていましたが、今回、その早過ぎる訃報に接しまして、全く驚くばかりでした。

 岩本さん、お約束しましたこと、実現できませんで申し訳ありませんでした。

 安らかにおやすみ下さい。

中沢茂「中沢原」について

中沢茂『中沢原』(北方文芸刊行会1980)に収録された三本の「中沢原」、つまり「中沢原其一」(1940年の私家版の『中澤原』に「中澤原」として収録)、「中沢原其二」「中沢原其三」(この二つは1956年の『札幌文学』が初出)を読んだ。

後二者は単行本『中沢原』出版の1979年まで改稿を続けたという。つまりこの「中沢原」三部作は著者が半世紀をかけて成した作品である。

内容は、根室半島の野原(原野)の自然(土地と植物と動物と地形と太陽と霧と雨と雪)の季節とともの移ろいをひたすら言葉に記し、同時に自然を記す人間の内面をひたすら言葉に記したものである。

読者は具体的な地名を求めるだろうが、しかし「中沢原」は架空の地名だという。比類のない作品ではないか。とともに読まれざる特異な作品ではないかとも思う。(この作品は、どのような評価を受けたのだろうか、それを知りたい。)

日本読書組合と『宮澤賢治文庫』

【日本読書組合と『宮澤賢治文庫』】

 日本読書組合版『宮澤賢治文庫』の奥付で発行者と印刷されている佐々木峻(1910-93) について記録しておきたい。氏は、わたしの大叔父(祖母の弟)にあたる。

 氏は1949年に出版社・英宝社を興し、社長を長く務めた人である。同社は、ジョン・ロナルド・ブリンクリー(1887-1964; 明治期の『ジャパン・メイル』紙の社主・編集者であるフランシス・ブリンクリーの次男)を初代社長として創設された出版社であるが、実務の中心は、2代目社長となった佐々木峻氏であった。

 氏は、戦後いち早く、1946年1月に武者小路実篤を組合長とした「日本読書購買利用組合」(通称、日本読書組合)を興した人物でもある。‬

 この日本読書組合は、産業組合法に基づき農林省から公認された会員制組織である。著者−出版者−読者とを組合員として、日本文化の向上を目的に、各出版社の「良書」の購買斡旋と、独自の出版とを主要な事業とした。いわば、取次機能と出版機能との双方を備えた組合である。‬

‪    と同時に、1946年7月から月刊の『読書雑誌』を発刊し、文化や本に関するエッセイ、書評、組合員の声、各出版社の新刊書籍一覧、雑誌論文一覧を掲載し、組合員への読書案内に役立つ情報の共有を目指した。これは、1947年11月までに10号を出し(合併号もあった)、1948年7月に季刊第1号を出して休刊となったようである(現物では確認していない)。‬

‪    日本読書組合が独自に刊行したものは、西鶴全集やアンドレ・ジイド全集などのほか、多くの単行本がある。これらは1949年まで刊行されたようである。‬

‪   1946年5月時点で組合員は一万人を超えたと『読書雑誌』創刊号(1946年7月)に書かれている。順調に伸びるように見えたが、西鶴全集やジイド全集について、組合員からはクレームがついている。装幀が貧弱、紙が悪い、印刷が悪いーー失望した。敗戦直後の物資欠乏の時だけに如何ともしがたいと思うが、組合員の信頼を勝ち取る出版とはならなかったようである。

 理想を高く掲げただけに、現実との落差が大きかったのだろう。専務理事も、半年ほどで、初代の坂上真一郎(建設社出版部)から中島健蔵(フランス文学者)に代わっているのも、何かがありそうである。‬

 その刊行物の一つとして、宮澤清六・高村光太郎編『宮澤賢治文庫』がある。第6巻(1948年3月刊)巻末の広告によれば、全10冊プラス別冊と謳っている。戦前の全集に漏れた未発表作品多数を収める意欲的な企画である。

 実際に何冊刊行されたか実物で確認できていないが、ネットの「日本の古書組合」で検索すると、1、2、3、4、6、7巻は出てくるので、既刊6冊なのかもしれない。‬

‪    実は、私が学生の時に、佐々木峻氏が社長を務める英宝社でアルバイトをしていた。1970年代初めである。その倉庫でこの日本読書組合版の『宮澤賢治文庫』を見つけ、氏にその出版経緯を聴いたことがある。もう半世紀以上も前でよく覚えていないが、‬

‪ーー武者小路実篤を担ぎ、中島健蔵を専務理事として日本読書組合を作ったこと、長く続かず解散に至り、その負債を抱えて苦労したこと、また、全集の企画を考える際に戦意高揚に利用されることの少なかった作家として宮澤賢治が候補に挙がり、刊行したが、完結に至らなかったことなどーー‬

‪ 特に《戦意高揚に利用されることの少なかった作家としての宮澤賢治》ということには強い印象を受けた。

‪ 竜頭蛇尾。とりあえず、以上を記録しておく。‬

 

 

川越宗一の『絢爛の法』(新潮社2026)を読む

 川越宗一の『絢爛の法』(新潮社2026)を読む。『熱源』(2019)で、樺太アイヌを主人公として、明治以降の文明化の歴史に翻弄されつつも、しかし、民族の歴史を背負いつつ時代を切り開きつつ生きかつ死ぬ人びとの姿を感動的に描いた川越宗一が、明治憲法や教育勅語の主要な起草者である井上毅を主人公とした新作を書いたことを知り、これは読まなければいけないと思った。

 600頁を超える大作。期待に違わぬ力作である。肺に病を抱えつつ苦闘する井上毅を中心に据えて、当時の癖の強い人物ーー西郷隆盛、大久保利通、江藤新平、伊藤博文、井上馨、大隈重信、板垣退助、星亨、山県有朋などなどーー権謀術数も悪徳も強権も金権も自覚的に駆使しながら自らの理想と野望に突き進む面々を描いて、まことに興味尽きない読み物となっている。

 冒頭に大久保利通の息子の牧野伸顕と、牧野の娘婿の吉田茂の子どもの吉田健一の、昭和22年5月2日(明治憲法が廃止され、新憲法が施行される前日)の会話を配し、終章でも昭和22年5月3日の牧野伸顕を登場させるなど、本書の構成も巧みである。実在の人物に重ね合わせてみたい思いに駆られるが、いうまでもなく本書はフィクションである。

 フィクションではあれ、本書もまた『熱源』と同じく、明治以降の文明化の歴史に生きる人々の生と死を描いたものであり、それ故に、今日、わたしたちが憲法ということ、また立憲主義ということを考える際の刺激になるのではないだろうか。

岩永健吉郎編『政治学研究入門』のこと

 岩永健吉郎編『政治学研究入門』(東京大学出版会1974)を捜索中。見つからない。

 この本の最後の重版は1982年5月の第7刷だったと思うが、その重版許可願いに対して編者の岩永先生は「10年近く経って正味が切れたものを学生のテキストとして使用するのは適切でない」というお考えで重版を許可されなかった。ただ、既にテキストに指定していた執筆者の懇願もあって「最後の増し刷り」という条件でお許しいただいた。

 このような経緯もあって新版を計画した。そして、岩永先生より新版の編者として佐藤誠三郎・有賀弘のお二人へのご指名があった。お二人に内田満先生を加えた編者会議を重ねて目次案を作成し、その上で執筆者会議をもったが、結局、出版には至らなかった。出版できなかった重要企画のひとつである。

 ちなみに『政治学研究入門』の目次は以下の通り:

 政治学以前(岩永健吉郎) 内政と外交 - 日本(佐藤誠三郎) 政治社会と政治制度(田中治男) 政治理論と政治過程(高畠通敏) 政治意識の形成と動態(岡村忠夫,栗原彬) 官僚制と自治(大森弥) 比較政治と国際政治(河合秀和) 政治思想と政治文化(有賀弘) 附録:日本政治研究基礎資料

春山明哲・若林正丈『日本植民地主義の政治的展開―その統治体制と台湾の民族運動・一八九五〜一九三四年』(現代中国研究叢書18、アジア政経学会、1980年12月)

最近、わたしの発信は台湾一辺倒となっているが、振り返ってみて、わたしが学術研究としての台湾に最初に関わったのは、東京大学出版会の委託製作部に所属していたときに春山明哲・若林正丈『日本植民地主義の政治的展開―その統治体制と台湾の民族運動・一八九五〜一九三四年』(現代中国研究叢書18、アジア政経学会、1980年12月)の本づくりをしたことにある。

1980年11月1日付けで、委託製作部から編集部に異動したので、そのはざまで本書を作ったわけである。本作りに関わるだけであるから、企画に携わったわけではない。

わたしは、東大出版会に勤めた当初の1974年の末から、アジア政経学会の出版物の担当者となり、学会誌の『アジア研究』とモノグラフの「現代中国研究叢書」を担当した。窓口は、東洋文化研究所の事務職を務めていた今城治子さんであった。

わたしは22歳から28歳まで今城さんの薫陶を受けた。

若林正丈『『台湾の半世紀』(筑摩書房2023)を読んでいたら、この現代中国研究叢書の琴が出ていて、四十数年前のことを改めて思い出して、懐かしく思った。

以下、『台湾の半世紀』より引用:

《衞藤瀋吉先生からアジア政経学会の現代中国研究叢書で何か書いてみろと勧められた。実にタイムリーなお勧めでありがたかった。そこで、当時は国会図書館勤務だった春山明哲さんと語らって二度目の訪台の後に『日本植民地主義の政治的展開 一八九五─一九三四年』を出した。春山さんは「近代日本の植民地統治と原敬」を書いた。この論文は後に台湾植民地支配をめぐる政治史研究に一画期をなすことになった。私は「大正デモクラシーと台湾議会設置請願運動──日本植民地主義の政治と台湾抗日運動」という、これも長編の論文を書いた。  

私の論文は、植民地時期台湾の代表的政治運動である「台湾議会設置請願運動」についてのものであった。植民地台湾から東京の帝国議会に提出された請願がどのように扱われたのかを請願委委員会の議事録を調べ、それを軸に「大正デモクラシー」と戦後に名付けられた時代環境の中でこの植民地住民による民権運動がどのように位置づけられたかを示そうとした。》

龍瑛宗「知られざる幸福」をを読む

引き続き『臺灣小説集』第1輯(大木書房、1943.11)に収録された龍瑛宗「知られざる幸福」を取り上げる。

龍瑛宗 (1911-99)は1937年に日本語小説「パパイヤのある街」で雑誌『改造』の佳作推薦賞を得て、1940年に『文藝臺灣』の編集委員となった人である。この作品は 同誌第3巻第1号(1943年1月)に掲載。

王家の家に女の子三人の末に生まれて二歳の時に梁家に熄婦仔としてもらわれた「妾(わたし)」が主人公である。

「熄婦仔(シンプア)」とは息子の将来の嫁として養女として迎えられたものを言うが、自分の意志に関係なく結婚相手を決められ、若年労働力として酷使され、教育機会も与えられず、息子にもうとまれる女性である。

本作品は、その実態をリアルに描きつつ、この女性が運命を甘受することなく自らの意志で自らの道を歩もうとする姿が描かれている。

台湾の1943年という当時、時局におもねることなく長い慣習に囚われた底辺の生きる女性の「知られざる幸福」を描いたこの作品は高く評価されるべきである。f:id:Takeridon:20260227211831j:image
f:id:Takeridon:20260227211827j:image
f:id:Takeridon:20260227211834j:image