大井赤亥『政治と政治学のあいだ 政治学者、衆議院選挙をかく闘えり』(青土社)について

 大井赤亥『政治と政治学のあいだ 政治学者、衆議院選挙をかく闘えり』(青土社)読了。政治の「学」としても、政治の「実践」としても、とてもおもしろかった。全3部構成の「第I部 1993年体制をめぐって」は大井さんの『武器としての政治思想』『現代日本政治史』を発展させたもの。「第Ⅲ部 日本政治のヴィジョンをめぐって」は、モデルのない政治・国際政治・世界構想めぐっての暗中模索の思考の試行。その間の「第Ⅱ部 2021年衆議院選挙を闘って」は、まさに政治学者が参加主体となってのフィールドワークの報告であり、オートエスノグラフィーとでも言ってもいい、類まれなものである。

 著者は、立憲民主党衆議院議員選挙に参戦するにあたって、スピノザの「嘲笑せず、嘆かず、呪わず、ただ理解せよ」を肝に銘じる。その上でのそのレポートである。

 コロナ禍で強いられたドブ板選挙の中で掴んだもの。例えば、有権者による政治の使い方について。また、「公共」と「民間」の新しい関係についての模索。

 《選挙とは、政治家に有権者と「接触」を強いる契機であり、それゆえ政治家は、資格勉強がもたらす「合理性」とは異なる、市民社会の「合理性」に肉薄する。 実際の人間の生活 は上から計画運営したり、将棋の駒を動かすように差配したりできない。その意味で、選挙というのは「政治家に地域を這いずりまわらせる工夫」 であり、「社会の中に入れ、人々の声を聞け」とい う憲法の要請なのである。》145頁

 そしてまた、学術出版に携わるものとして、次の一文には全く共感。そうなんですよねえ。

政治学者として学術書を出版していることは、選挙には何も役に立たないどころか、むしろ不利であったといってよい。そういったものが目に留まると、「こいつは空理空論ばかりだな」、「現実を教えてやる」といわんばかりの人も出てくるのである。げに、選挙とは 「学術」に対する反撃と発散の場でもあったのである。》149頁

 この情勢、政治に絶望し、何らの期待もできないと思う人々に、希望を説くのではない本書をお勧めする。