篠田謙一『DNAで語る日本人起源論』(岩波書店2015)及び篠田謙一監修『図解版 人類の起源』(中央公論新書2024)読了。ともかくゲノムサイエンスの発展によるホモ・サピエンスの「大いなる旅」の解明には驚くばかりである。
わたしが自然人類学による日本人の起源の解明に関心をもったのは、40年以上前、当時は東大理学部教授であった埴原和郎教授の英文の著作(アイヌとオーストラリア・アボリジニとの比較)の本作りを手伝ったことを契機としている。埴原先生の研究が面白かったので、日本における自然人類学の成果を伝える出版企画をたてた。わたしの未熟ゆえにその出版は実を結ぶことがなかったが、埴原先生の研究はその後も追い続け、その日本人の起源についての「二重構造モデル」(旧石器時代に東南アジアなどから日本列島に進出した集団が縄文人となり、新石器時代の北東アジア人が渡来系弥生人となって列島にやってきた)に素人ながら大いに感心したものである。
篠田の著作においては、この「二重構造モデル」は、プラス面が評価されながらもゲノム分析の結果により否定されている。では、日本人の起源は? 渡来系弥生人が縄文的要素を持っていたこと、古墳時代になっても渡来人が流入したことなど、ゲノム分析によって明らかにされている。縄文人と言っても均一の集団ではないこと、そしてまた琉球列島集団の成立、北海道集団の起源、アイヌ集団が三つの地域性を持っていること、などなど、が示され、とても興味深いことが両著において展開されている。
これらの指摘により、現代日本人の成り立ちにおいても、現在が終着点ではなく、歴史の1ページに過ぎないものであることが強調される。「日本人とは何か」「日本とは何か」が、超地域的に、また、超時間的に問うことはできないのである。
ホモ・サピエンスのさまざまな地域集団はゲノム的には連続しているものであり、人種という区分は恣意的なものである。グローバリゼーションの進化と深化により、人類の遺伝的な構成は、地域集団の違いを超えて、今後、均一化の方向に向かうと著者は見る。
著者の研究成果も、研究の途上にあり、今後塗り替えられていくものであることを著者自身、自覚的である。今後の研究の進展が期待されるとともに、あわせて、文化というもの、社会というもの、そもそも人というもの、についてわたしたちがどう考えるか、大きく問われていくであろう。