岡崎文吉の墓と生前墓

【岡崎文吉の墓と生前墓】

石狩川治水の祖」と言われ晩年は茅ヶ崎で過ごした岡崎文吉(1872-1945)が葬られたのは杉並区永福駅近くの法華宗の理性寺(りしょうじ)である。今日、茅ヶ崎岡崎文吉研究会の有志とここを訪ね、雨の中、香華を手向けた。捧げられた卒塔婆を見ると、今日に至るまで、一族の法要が営まれていることがわかる。

ここにたつ墓石の御影石に「岡崎家墓」および両親の名前が刻まれ、横に「大正六年建之工學博士岡崎文吉」「永代祀堂料納付」とある。岡崎文吉が大正3年に工学博士となり7年に石狩川治水事務所を去る間に墓を建てたことが印象付けられる。

墓の一角には樹齢の長い赤松が聳えるこの墓の地に立つと、岡崎文吉が茅ヶ崎の自宅敷地に自らの業績碑を生前墓としてを作ったことは、戦時を憚る便宜的な措置であったことがよくわかり、自らはここに葬られることを自覚しての業績碑・生前墓建立であったのではないかと偲ばれた。f:id:Takeridon:20240224002018j:imagef:id:Takeridon:20240224002051j:image