青野季吉『文学五十年』(筑摩書房1957)読了。青野は1920年代、文芸戦線系のプロレタリア文学批評家として活躍した人物であるが、本書はそれにとどまらない自らの半生の文学的回想記である。
1890-1961. 佐渡の没落地主の家に生まれ、佐渡中学校、高田師範卒。小学校教師となる。この辺境の佐渡に生まれ育ったことが同郷の若き北一輝への共感とともに青野の文学的感性の基底をなしている。
本書は、その佐渡での10代半ばでの二葉亭四迷訳『浮草』(ツルゲーネフの『ルーヂン』)との出会いから始まる。国木田独歩、徳冨蘆花を経て、島崎藤村『破戒』や田山花袋『蒲団』『田舎教師』など自然主義文学にひかれ、大正期の早稲田大学学生、読売新聞記者時代の文学との関わりを描く。さらに社会主義に近づき、第一次日本共産党入党、『種蒔く人』同人、『文芸戦線』同人、共産党から離れ『労農』同人、1935年の『文学界』同人、治安維持法違反による有罪、戦時の秋田疎開、戦後のペンクラブ再興との関わりなど、昭和30年頃までの文学生活を回想する。
数多くの文学作品と文学者だけでなく、左翼運動関係者も登場して興味深いし、文学運動・社会運動内部の問題点を示唆しているのも特徴である。
また、青野がサヴィンコフ『蒼ざめたる馬』を翻訳して直木三十五の冬夏社から翻訳出版した経緯、その自死の前に有島武郎が観音経写経を堺利彦と長谷川如是閑に与えたことも記載され、さらに、『夜明け前』完結後に島崎藤村を訪ねた際に「藤村の造作の大きい顔に、わたしはちらと無気味なものを感じた」こと、など人間観察を踏まえた具体的エピソードに事欠かない。
もとが新聞連載であったため、ひとつひとつが深掘りされていない恨みがあるが、しかし、文芸批評家として自らの体験に基づき、20世紀前半世紀の文学と文学運動の大きな流れを、対象に距離をとりつつ自己反省と共に綴ったものとして貴重な作品である。毎日出版文化賞受賞。