【本庄陸男『石狩川』の舞台化と映画化】
20220801
はじめに
1939年に大観堂書店から刊行された本庄陸男の『石狩川』は、高い評価を受けベストセラーとなり、直ちに舞台化と映画化が計画された。刊行された『石狩川』は第一部であり、続編が意図されていたが、著者が刊行後2か月ほどの7月13日に結核のため死去し、その意図が果たされることはなかった。しかし、第一部だけでもまとまった作品として読むものに感銘を与える。
本庄『石狩川』を原作とした演劇化と映画化は、戦前だけにおいても、わたしの確認した範囲であるが、3件試みられた。
①新協劇団による舞台化 村山知義演出・脚本 1939年12月
② 東宝の熊谷久虎監督による映画化 1940年初めの計画のみ
③日活の内田吐夢監督による映画化 1940年初めの計画のみ
このほかに戦後になって、①に基づいた再演がなされると共に、次のようなものがある。
⑤NHKによるテレビドラマ化 総合テレビのこども劇場 1964年2月2日
久保栄日記・書簡
以上の舞台化・映画化そしてテレビドラマ化のうち、①②③については、『久保栄全集』全12巻(三一書房、1961-63) で、その一端を知ることができる。特に、第11巻「日記」、第12巻「書簡ほか」、また第3巻「創作」に収録された「シナリオ 石狩川」が注目される。
久保栄の日記には、1939年10月1日から、新協劇団で上演する『石狩川』についてのことが出てくる。当初は、久保栄演出、村山知義脚色であったが、結局、久保が降り、村山の演出・脚色なり、同年12月に上演された。その経緯と久保栄の思いが書かれている。
(なお、松本克平宛て19391002の封緘はがきにおいて、『石狩川』についての危惧が書かれている。脚本を村山に任せるべきかどうか。)
日記によれば、その後1940年1月初め、東宝の熊谷久虎監督で映画を撮る話しがあり、そのシナリオ書きが久保のもとに依頼があり、これに積極的となった。2月11日、シナリオ覚書を書き続ける。一方、1月下旬、新協劇団に、日活の内田吐夢が『石狩川』を撮りたがっていて協力を求めることが伝えられたが、久保は熊谷が先行していることを劇団に話した。以降については、日記でも書簡でも確認できない。
他方、全集には「シナリオ 石狩川」が収録されている。これは、時系列にそったシナリオである。つまり、禄高没収後の岩出山伊達家の身の振り方を探る有備館での様子から始まり、室蘭に上陸し、石狩シップに着き、そこが不適切な土地であることに気付き、トウベツを目指す直前まで描いたものである。緊張したセリフに力があり、引き込むものがあるが、いかんせん、まだ序章で終わっている。
シナリオを書き続けることができなかったのは、1940年の官憲により新協劇団事件が絡んでいる。
新協劇団
新協劇団は1934年に、村山知義が主導して作られたもので、同年、旗揚げ公演として、『夜明け前・第一部』が、久保栄演出・村山知義脚本で上演され、好評を得た。『夜明け前』は島崎藤村の長編歴史小説であり、日本の近代小説の代表作である。第一部が1932年1月刊行、第二部が1935年11月刊行である。
この新協劇団の『夜明け前・第一部』については、久保と村山のあいだで確執があったようである。久保は村山の脚本の不備を演出で補うことに不満を漏らしている。 (ちなみに、わたしは、村山の脚本を新潮文庫で読んだが、原作の感動は、脚本からは与えられなかった記憶がある。)
新協劇団は旗揚げ5周年記念として『石狩川』を取り上げることになった。亀井勝一郎によって島崎『夜明け前』に比肩された本庄『石狩川』を5周年記念で取り上げるのは新協劇団としてふさわしいと思う。
新協劇団では久保演出・村山脚本で進めることにした。しかし、久保が原作自体について問題を抱いていた。一つは、当時の日本の国策である満洲開拓につながる恐れがあることである。また、主人公の吾妻について作者があまりに肯定的であることである。後者については、公演決定後に久保が本庄夫人に挨拶した際に、夫人から、本庄は自分の父を重ねて吾妻を描いたことを聞いて、その印象をいっそう強めた。
村山の脚本作成が遅れたこともあり、久保は、自分一人で演出と脚本を手掛けるか、村山一人で演出と脚本を担うか、そのような思いを強め、公演日程もあって、劇団としては後者に、つまり久保が降りることに決定した。
(大観堂書店の『石狩川』のオビには「久保栄演出・村上知義脚本」と書かれたオビの付いた重版がある。)
これで久保が『石狩川』と縁を切ったわけではない。既述のように、映画化のシナリオ書きに取り組み、実際にシナリオが残っていることからも、久保の『石狩川』への熱意が伝わってくる。
付記
久保栄と本庄陸男『石狩川』とについては、小笠原克『久保栄』(新宿書房2004)で取り上げられている。
『大地の侍』のシナリオは、北海道立文学館に保存されている。これをよんでみたが、当たり前のことだが、久保栄が書いたシナリオとは全く別のものである。