鶴見和子さん(上智大学名誉教授)が亡くなったのは2006年7月31日。敗戦翌年の1946年、弟である鶴見俊輔、丸山眞男、武谷三男と「思想の科学」同人会議を開いて『思想の科学』を創刊した方である。私は、鶴見さんを編者とした2冊の本『内発的発展論』(1989、川田侃共編)と『内発的発展と外向型発展』(1994、宇野重昭共編)を担当した。
特に『内発的発展論』は、もともとの企画の論文原稿について、その半数近くの原稿の差し替え・書き直しを求めるなど、鶴見さんと激論しながら編集したものであり、とりわけ印象に残っている。最初は上智大学国際関係研究所の共同研究「新国際経済秩序(NIEO)と内発的発展」の成果を一冊にまとめる企画であったが、原稿が遅れ、原稿が揃った1980年代後半では、NIEOは既に時期外れになっていた。
そのままでは出版できないと考え、企画を廃案にするか、あるいは「内発的発展」を焦点にした新企画にするか、鶴見さんに迫った。その際、既にできていた鶴見さんの原稿についても「このままでは使えません」と進言したのが、鶴見さんをいたく刺激した。
研究所の所員会で鶴見さんは、研究会を再編して新企画で行く方針を提案したが、「担当者の竹中さんは、わたしの原稿もダメで、新しく書け、と言うのよ」と説明したことが漏れ伝わってきた。緊張した。だがそれは、わたしへの批判ではなく、「だから皆さんも、新しく書いてほしい」という意図を込めての発言だったらしい。
その上で出来上がってきた9本の原稿は、ひとつの焦点を結ぶものではないうらみがあったが、面目を一新したことを良しとして、東大出版会の企画委員会にかけた。そこでは厳しい批判がなされながらも企画は通った。ただし「内発的発展論」というタイトルを再考せよ、という意見付きであった。このことを鶴見さんに伝え、一悶着あったが、共同編者の川田さんが間に入り、とりなしていただいた。結局、わたしの方でも具体的な対案を提示することもできず、最終的に原案のタイトルでもって刊行された。
1989年に上梓された本書は、幸い好評で刷りを重ね、またNIRA東畑精一記念賞を受賞した。受賞を記念して六本木の国際文化会館で関係者で集いをもった。鶴見さんから「あなたから厳しく言われたことがよかったわ。ありがとう」と言われ、ホッとした。(ただし、執筆者ではないある方が「東大出版会はタイトルを変えろと言ったと聞くが、見識を疑う」と挨拶で語られた場面もあった。)
その後、同テーマの延長で『内発的発展と外向型発展』(宇野重昭共編)を1994年に刊行した。編集会議の後の食事会で、鶴見さんは日本酒をお猪口二杯たしなまれ、そして猪口を伏せられるのを常とされた。
鶴見さんには単独著をお願いしたいと思っていたが、翌年1995年に倒れられた。療養のご挨拶文に、静かに過ごしたい、という趣旨があり、結局、単独著を正式に依頼する機会を得なかった。その時は、その後、鶴見さんが旺盛な出版をされるとは全く予測できなかったのである。
その後2004年に『複数の東洋/複数の西洋――世界の知を結ぶ』(武者小路公秀共著、藤原書店)が鶴見さんから贈られてきた。同書では武者小路さんも寄稿していた『内発的発展論』が触れられていた。千歳を寿ぐ礼状をしたためた。翌々年2006年、遠逝。享年88.
参考:『内発的発展論』目次
第Ⅰ部 内発的発展論とは何か
第1章 内発的発展論の起源と今日的意義 (西川潤)
第4章 非西欧的方法論の試み (柳瀬睦男)
第Ⅱ部 内発的発展を探る
第2章 ラテンアメリカの歴史的特質と内発的発展 (今井圭子)
第4章 地縁技術と地域自立運動 (中村尚司)
第5章 アジアにおける内発的発展の多様な発現形態 (鶴見和子)
参考:『内発的発展論』目次
第Ⅰ部 内発的発展論とは何か
第1章 内発的発展論の起源と今日的意義 (西川潤)
第4章 非西欧的方法論の試み (柳瀬睦男)
第Ⅱ部 内発的発展を探る
第2章 ラテンアメリカの歴史的特質と内発的発展 (今井圭子)
第4章 地縁技術と地域自立運動 (中村尚司)
第5章 アジアにおける内発的発展の多様な発現形態 (鶴見和子)