茅ヶ崎駅前に「美彩美酒 厚田村」という店がある。ここには松山善三『厚田村』上下(潮出版社1978)が置いてある。装幀が高峰秀子で、題字が梅原龍三郎。この題字は店の看板の文字と同じ文字である。ご主人の祖父の墓は厚田村にあるという。
6月25〜26日、茅ヶ崎岡崎文吉研究会ツアーの一環として石狩市厚田区を石狩の安田秀司さんの案内で回った。地層・地形と歴史・四季と生物・人間との織り成す様々な時空間に直に触れることができて、大いなる刺激を受け、たくさんの学びを得た。
ツアーの中で、安田さんから「松山善三の『厚田村』は面白いですよ」と言われ、札幌から7/4日0時過ぎに帰宅後、6日と7日の両日をかけて上下巻を読み通した。明治に生まれた厚田の漁師の娘セツを主人公として、明治大正昭和という激動の時代を、様々な人との関わりの中で波瀾万丈としか言いようのない人生を送った軌跡を見事に描き出した作品である。
なんと実在の人物が登場する。厚田を拠点としたニシン漁を手始めにコングロマリットを形成した経営者・フィランソロピスト佐藤松太郎、後に創価学会第二代会長となる戸田城聖の若い頃の戸田甚一、『新選組始末記』や厚田三部作を著した子母澤寛の若き頃の梅谷松太郎。いずれも厚田村ゆかりの人物である。
他にも、厚田村の樺太アイヌ、小樽で左翼活動をする朝鮮人、小樽を拠点とする荒々しい実業家、芸妓、主人公に使える樺戸監獄脱獄者の幇間、主人公と愛を交わす測量技師、さらに主人公に子熊の時から可愛がられたヒグマなど、それぞれに魅力的な人物と動物が描かれ、まさに自然と人物の織り成す物語が展開される。
石狩市と合併して2024年の厚田区は、この作品が描かれた時代とは様相を異にする。しかしながら、空間的な場と地層は、時間的な一瞬と堆積との交差点において、わたしたちにその相貌をあらわす。松山善三の『厚田村』はフィクションではあるが、磁場としての厚田村に生きた無名の女性の人生のなにごとかを、今日のわたしたちに伝えてくれる。