最高気温32度にもなった今日、蔵書整理のために、辻堂の冷房なしの作業場に詰めていた。暑い。整理中、ふと隅谷三喜男編著『日本労使関係史論』(東京大学出版会1977)が目にとまった。かつて夢中になって読んだ研究書である。
目次は次の通り。
第1章 工場法体制と労使関係 隅谷三喜男
第2章 第一次大戦前後の労資関係──三菱神戸造船所の争議史を中心として 中西洋
第3章 昭和恐慌下の争議──1932年東京市電気局争議に即して 兵藤釗
第4章 日本帝国主義の崩壊と「移入朝鮮人」労働者──石炭産業における事例研究 戸塚秀夫
第5章 戦後労働組合の出発点 山本潔
いずれも力作であるが、特に記憶が残っているのは、第4章の戸塚秀夫論文。北海道夕張炭坑での、一時期は7000人もにのぼる「移入朝鮮人」を対象として、その戦時における抵抗運動、そして戦後における先進的労働組合運動の展開という仮説のもとに、聞き書きを含めた実証研究をすすめた。その成果としての論文であるが、結果として、「移入朝鮮人」による抵抗運動はさしたるものもなく、また戦後における主体的な労働組合運動もなかったという結論となった。仮説が実証研究によって裏切られたのである。
このギャップについて戸塚先生に、論文発表後数年してから直接問いただしたことがある。その返答がどうであったのか定かな記憶はない。しかし、先生からは別のことをお聞きした。
「わたしは、朝鮮人労働者の抵抗運動についても先進的労働組合運動についても、流布している噂とは異なって、さしたるものがみられなかったということを実証的に明らかにしたつもりだったが、この実証的な論文について、朝鮮人労働運動をおとしめるものだという批判があちこちからあって戸惑った。その気持ちは分からないでもないが、しかし、研究者としては事実は事実として明らかにしなければならない。そのことをおろそかにしては労働問題研究は成り立たない。」と。
その通りと思った。しかし、戸塚先生は、その後、「移入朝鮮人」労働者をテーマとした研究については関係者の協力は得られなくなり、続稿を書き継ぐことはなかった(と思う)。