杉森久英『滝田樗陰』

杉森久英『滝田樗陰』(中公新書1966)読了。本名哲太郎の滝田樗陰は秋田市1882年の生れ。樗陰の号は高山樗牛に因むものという。

東京帝国大学在学中から雑誌「中央公論」の編集にたずさわり、同大中退後、『中央公論』の編集者として、文芸欄の充実に力を尽くし、また吉野作造などの担当者として活躍し、名編集者としてうたわれたひとである。

著者の杉森は、滝田没後ではあるが、戦前期に中央公論社に勤めるなどした人であり、滝田を知る人からの聞き取りも踏まえて本書をあらわした。若き日の滝田、中央公論編集者としての縦横無尽(時に傍若無人)の活躍、そして明治末〜大正期の時代を先導しつつ、大正後期に時代に取り残され、1925年に43歳で病没する生涯を、様々なエピソードをまじえて描いている。

雑誌編集者と書籍編集者は異なるが、時代との相関において、身のつまされる思いも抱いた。

(同じ秋田出身の『種蒔く人』の同人グループを執筆者に採用しなかったという逸話も、編集者とは何かを考える上で示唆的である。)